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鹿鳴館 (戯曲) : ミニ英和和英辞書
鹿鳴館 (戯曲)[ろくめいかん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin
戯曲 : [ぎきょく]
 【名詞】 1. play 2. drama 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity

鹿鳴館 (戯曲) : ウィキペディア日本語版
鹿鳴館 (戯曲)[ろくめいかん]

鹿鳴館』(ろくめいかん)は、三島由紀夫戯曲。全4幕から成る。三島の代表作の一つで、繰り返し上演され続けている人気の高い演目である〔「舞台の多彩な魅力――『鹿鳴館』の成功」()〕。明治19年の天長節鹿鳴館で催された大夜会を舞台に、政治、陰謀と愛憎の渦の中で翻弄される男女・親子の悲劇をドラマチックに描いた物語。修辞に富んだ詩的で高揚感のある台詞まわしと緻密な構成で、華やかな様式美の大芝居が楽しめる作品である〔〔有元伸子「緊密に構成された絢爛たる大芝居」()〕。三島は自作について、〈この芝居はいはば、私のはじめて書いた「俳優芸術のための作品」である〉と記している〔「『鹿鳴館』について」(毎日新聞〈大阪〉 1956年12月4日号)。、〕。
1956年(昭和31年)、文芸雑誌『文學界』12月号に掲載され、初演はその号の発売直後の11月27日、文学座創立20周年記念公演として第一生命ホールで上演された〔井上隆史「作品目録」()〕〔山中剛史「上演作品目録」()〕。単行本は翌年1957年(昭和32年)3月5日に、東京創元社より刊行され、文庫版は新潮文庫で刊行された〔山中剛史「著書目録――目次」()〕。翻訳版は佐藤紘彰訳(英題:The Rokumeikan)、フランスのGeorges Neyrand訳(仏題:Le Palais des fêtes)で行われている〔久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」()〕。
== 作品成立・概要 ==
『鹿鳴館』の舞台は、明治時代の落成間もない鹿鳴館で、登場人物は華族(維新の功臣で勲功華族ともいう)たちである。舞台当日の大夜会は、ピエール・ロティの『江戸の舞踏会』と、芥川龍之介の『舞踏会』に描かれた舞踏会が下敷きとなっている〔。三島はその意味について、鹿鳴館で踊る日本人の滑稽な様を描いた当時の風刺画そのままの再現ではなく、われわれのイメージの中の〈現実よりはずつと美しい〉舞踏会〔、〈ノスタルジヤに彩られて、日本近代史上まれに見る花やかなロマンチックな時代〉を描くことであるとし〔「美しき鹿鳴館時代――再演『鹿鳴館』について」(新派プログラム 1962年11月)。、〕、以下のように解説している。
また、三島が自身の演出で上演したいと考えていたヴィクトル・ユーゴーの『ルクレツィア・ボルジア』の人物設定なども、藍本になっているのではないかという村松剛今村忠純の指摘もある〔「III 死の栄光――『鏡子の家』から『英霊の聲』へ 二つの事件――脅迫と告訴」()〕〔今村忠純「『鹿鳴館』についてのメモ」(国文学解釈と鑑賞 1992年9月号)。〕〔今村忠純「鹿鳴館【研究】」()〕。ちなみに、三島自身もボルジャ家について、〈私は生得ボルジャ家の代々が好きである。チエザレ・ボルジャルクレツィア・ボルジャも好きである〉と語っている〔「戯曲を書きたがる小説書きのノート」(日本演劇 1949年10月号)。〕。
『鹿鳴館』の「大時代的」な風味や、台詞まわしには、三島が少年期から親しんでいた歌舞伎の影響もあり〔、その「台詞で構築された、台詞を聞かせる、幾層にも張り巡らされた愛と陰謀のスリリングな悲劇」は、「伝統的でありながら、斬新」でもあり、劇場で芝居の楽しみを味わえる作品だと松本徹は解説し〔、有元伸子も「緊密に構成され修辞に満ちた絢爛たるセリフによる緊張感と、シアトリカルで楽しめる大芝居の二つの要素を兼ね合わせている」作品だとしている〔。
三島は『鹿鳴館』を〈俳優芸術のための作品〉だとし〔、作中の登場人物たちに、人が人を信頼すること、骨肉の情愛や憎悪、人が人を動かす政治についての怜悧な洞察のある長い台詞を吐露させているが、そういったところも聴きどころの一つで、俳優の力量が試される(ゆえに主演はベテラン俳優たちが演じることが多い)。また、ストーリー展開やドラマチックな要素で娯楽性が高い作品だが、「練られた台詞」に緊張感のあるため、「役者の技術だけでなく、身体性や経験、持ち前の雰囲気やパワーまでも総動員しなければ、通俗劇に堕する危険」があると佐藤秀明は指摘しており〔「第一部 評伝 三島由紀夫――第三章 問題性の高い作家 『鹿鳴館』」()〕、役者にとっては難しい芝居である。
執筆当時、文学座に籍を置いていた三島は、看板女優の杉村春子を念頭において『鹿鳴館』を書いたが〔「『鹿鳴館』について」(文学座プログラム 1956年11月)。、〕、1963年(昭和38年)に、戯曲『喜びの琴』の上演中止問題(喜びの琴事件)から、三島と文学座が絶縁となって以降は、文学座による上演は止められ、その後は劇団新派の代表作となり、初代・水谷八重子八重子十種の一つとして、新派劇の主要な演目となった〔。初代・水谷八重子没後の公演では、二代目・水谷八重子市川團十郎の主演で上演された。近年は、劇団四季のレパートリー演目としても公演されている(演出・浅利慶太。主演・日下武史ほか)。
なお、1956年(昭和31年)の初演と1958年(昭和33年)の東京公演では、三島自身も3幕目で鹿鳴館を模様替えする大工・植木職人に扮し、今で言うカメオ出演をしている(三島自身は座興と述べている)。
テレビドラマ化は、1959年(昭和34年)に初演舞台と同じキャストでフジテレビで放映。1961年(昭和36年)は主演に佐分利信を迎え、それ以外は初演舞台とほぼ同じキャストでTBSテレビで放映。1970年(昭和45年)は岩下志麻芦田伸介主演でNHKで放映。近年は2008年(平成20年)正月に田村正和黒木瞳主演でテレビ朝日で放映された。映画化は1986年(昭和61年)に東宝によって菅原文太浅丘ルリ子主演、市川崑監督でなされた。数億円を投じて東宝の大ステージいっぱいに再現された豪華な鹿鳴館セットが話題を呼んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鹿鳴館 (戯曲)」の詳細全文を読む




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